Previous Page - Page 14 - Next Page [ 目次]


3―集団選択の理論

レミングは本当に集団自殺するのか?
 自然選択は、ある性質をもつ個体ともたない個体の、適応度に差があるときに働く。したがって、遺伝的に変化した性質が個体の適応度を高めれば、自然選択が働く。この意味で、「自然選択は個体に有利な性質に対して働く」といえる。
 これに対して「集団や種に有利な性質が広まる」といわれることがある。レミングの集団自殺が、その例としてよくとりあげられる。 
 レミングはネズミの仲間の小型哺乳類で、ずんぐりした体で尾は短い(。近縁種として、日本では本州に棲むハタネズミや北海道に棲むエゾヤチネズミがいる。
 これらのネズミは、何年かおきに大発生することで知られている。とくに北欧では、レミングが大発生して森林から移動し、一部は川や海に突入したり、谷から飛び込んだりする様子が、集団自殺の例として伝説になっている。「集団自殺」というのが適当かどうかは疑わしいが、大発生した個体が集団で移動し、大量の個体が死亡するというのは事実である。
 このような性質(集団移動)が進化した原因として、次のように語られることがある。森林におけるレミングの数が異常に増え、そのままでは、そこにいるレミングが絶滅しかねない。そこで、レミングという種を存続させるために、レミングは集団の一部を残して大移動し、川や海に阻まれると自殺する、というのだ。
 この話はよく、集団や種にとって利益となるような性質が進化する例として語られる。しかし、この説明は次に述べるように、誤ったものなのだ。

個体に不利で集団に有利な性質は進化しづらい
 「種の存続」が、生物に課せられた最大の使命であるように理解している人は多い。ノーベル賞を受賞した動物行動学者コンラート・ローレンツは、かつて、動物のあらゆる行動は種の利益にかなっているということを主張していた。また一般にも、動物の適応的な性質や行動をみて、「種を存続させるためにうまくできている」という言い方をする人は今なお多い。ある生物の性質がなぜ存在するのかを問うたときに、「集団にとって有利」とか「種にとって有利」だからだといえば、何となく納得してしまうからだ。
 ところが実際には、「集団にとって有利」な性質が進化する場合はかぎられている。先のレミングの移動を。「集団の有利さ」の観点から考えてみよう。
 集団内の密度が高まると、異常繁殖による集団の絶滅を防ぐために、個体がみずからを犠牲にして移動しようとする性質が出現する(この場合、移動には必ず危険がつきまとうため移動するという行動は、みずからの適応度を下げて、移動しない個体の適応度を増加させることになるので、犠牲的な行動と考える)。そのような集団の中に、密度が増加しても移動しないような遺伝的性質をもつ個体が生じたとしよう。その個体は、他の多くの個体が移動してくれたおかげで、自分は子どもを残すことができる。そしてその子どもも移動はしないので、その集団には、密度が高くなっても移動をしない性質が広まっていくことになる。
 つまり、「個体にとって有利」な性質の方が進化しやすく、「集団にとって有利」でも「個体にとって不利」な性質は進化しづらい、ということになるのである。
 このように、個体自身を犠牲にして集団の利益を図るような性質が進化することは、難しいといえる。

レミングは「個体にとって有利だから」移動する
 それではなぜレミングは集団で移動し、大量に死ぬのであろうか。北海道のエゾヤチネズミ(図14)の例で説明してみよう。レミングほどの大規模な集団移動ではないが、エゾヤチネズミもレミングと同様に、個体数が大幅に変動し、その増加期には多くの分散個体(生まれた場所や定住場所から移動する個体)が現れるのだ。
 エゾヤチネズミの雌は繁殖期になわばりをもち、一匹の雄は何匹かの雌のなわばりを動き回る。雄同士はなわばりはなく、行動圏は重なり合う。雌が発情する(雄の交尾を受け入れる状態になる)と、何匹かの雄が交尾しようと雌に接近する。接近した雄の間にかなり優劣の関係があるときは優位な雄が他の雄を追い払い、雌を独占する。雄の間の力が拮抗しているときは、数匹の雄が一匹の雌と交尾することがある。そんな時には、雌の一腹の子どもの父親が異なることになる。雌と交尾するためには雄同士で競争が行われ、交尾できずに終わってしまう雄もいる。
 もとの場所を離れて分散した個体を調べてみると、競争に負け、雌との交尾に失敗した雄が多いことがわかった。分散する雄にとってみれば、そこにいても繁殖ができないので、移動に伴う危険を冒しても、別の場所に移ったほうがましかもしれないのだ。
 このように、レミングやエゾヤチネズミでみられる移動、分散は、元の場所にいては繁殖可能性の低い個体が、他の場所への移動を試みたほうが少しは繁殖の可能性が生じるために、引き起こされるものと考えられる。そうした観察結果から、最近では、レミングが川や海に飛び込むことなども、「自殺」ではなく、泳いで新しい場所へ移動しようとする行動であるといわれている。
 つまり、伝説的な「レミングの自殺」は、「集団(の存続)にとって有利」だからではなく、「個体にとって有利」だからなされるのである。

「集団選択の理論」は限定付き
 ここで「個体にとって有利」とは、個体の適応度を高めるという意味である。同様に、「集団にとって有利」とは、集団の適応度(集団がどれくらい存続し、どれくらい集団を生成できるか)を高めることと考えればよいだろう。
 集団にとって有利な性質の進化を説明する理論は、個体の適応度の差に働く自然選択(個体選択)に対して、「集団選択」といわれている。特に、一見すると個体にとっては不利に見える性質が進化する原因として、しばしば、この集団選択が持ち出されることがある。理論的には、集団選択によって集団に有利な性質が進化することはありうるし、集団選択の実例も、少数ではあるが示されている。
 しかし、個体にとって不利な性質が、集団の絶滅を防いだり、集団の増加を助けるように進化するということは、限られた条件でのみ可能なのである。実際には、レミングの例でみたように、集団の適応度を高めたために動物の行動が進化した、という説を否定するような観察例が多いことを心にとめておいてほしい。

Previous Page - Page 14 - Next Page [ 目次]