| Previous Page - Page 26 - Next Page [ 目次] 2―現代進化論形成の時代 集団遺伝学の確立と発展 二十世紀前半においては、自然選択説、ラマルキズム、メンデリズム、それに突然変異説が加わってさまざまな論争が生じ、その中で自然選択説を中心としたダーウィニズムは劣勢であった。しかしやがて集団遺伝学の確立により、メンデルの遺伝、突然変異、自然選択のそれぞれの要因が進化において果たしている役割が、正しく認識されるようになる。 集団遺伝学とは、生物集団の遺伝的構造を支配する法則を調べる学問であり、そこでは、遺伝子頻度の変化の要因などが扱われる。 この分野は一九三○年代に、イギリスのフィッシャー、ホールデンとアメリカのライトの三人によって確立された。また現代の集団遺伝学が確立、洗練されるうえで、日本の国立遺伝学研究所の木村資生らも重要な働きを担ってきた。 しかし集団遺伝学者の間でも、自然選択がどの程度進化に影響しているかという点では、意見が異なっている。フィッシャーは、遺伝子頻度の変化は自然選択によって決まり、突然変異や遺伝的な浮動は二次的な影響しか与えないとした。また、ホールデンも自然選択の役割を強調した。他方、ライトは遺伝的な浮動の重要性を強調した。 集団遺伝学の理論の多くは、個別の遺伝子(一つの遺伝子座での対立遺伝子)の頻度変化を問題にしていたため、それに対して、生物個体はもっと複雑なものであり、個別の遺伝子の変化ではとらえられないという批判が上がった。また、数学理論は現実離れしているという批判もあった。 特に、総合説(次項で述べる)の形成に関わったマイヤーは、個別の遺伝子が増えたり減ったりすることを問題にする集団遺伝学を「古典的」と決めつけ、豆を袋から出したり入れたりするのと同じようなものであると「ビーン・バッグ(豆袋)」にたとえて批判した。そして、生物個体はいくつもの遺伝子が協力してつくりあげているのだから、一つの遺伝子だけを取り出して考えるのではなく、遺伝子間の相互作用を重視した集団遺伝学が必要であると主張した。 複数の遺伝子の相互作用が重要であることは確かだが、マイヤーの批判は必ずしも当たっていない。進化的な変化が生じるためには、遺伝子が頻度を変化させ、置き換わっていくプロセスが必ず問題になる。この頻度変化と置換のプロセスを調べるためには、一個あるいは少数の遺伝子による基本モデルを立てることがまず重要だ。それに、遺伝子は他の遺伝子とは独立に進化することが少なくないので、個々の遺伝子の運命について考えることが決して無意味ではない。そうしたモデルを基盤にしてこそ、遺伝子が相互作用しているような複雑な場合の理論に発展させることができる。 近年の中立説の発展によって、遺伝子頻度の変化や置換は、むしろ「古典的」といわれる集団遺伝学を支持し、個々の遺伝子がどのように頻度を変化させるかを調べることが、あらためて重要になってきた。 集団遺伝学が確立された一九三○年代頃は、実際に自然状態の生物で遺伝子の変異を調べるのが困難であったため、理論が正しいかどうかを検討することがなかなかできなかった。しかし、遺伝子やそれによって作られるタンパク質の変異を検出できるようになり、さらにDNAの塩基配列の変異が調べられるようになって、集団遺伝学の理論の検討を実際の生物で行うことがある程度可能になった。現在では、メンデル遺伝をしないようなDNA配列が集団にどのように広まるのかを検討する理論まで考えられている。集団遺伝学の進化論における重要性はますます高まっているといえよう。 総合説とネオ「ネオ・ダーウィニズム」 「総合説」は「現代的総合説」といい、「総合」と銘打った本として、イギリスのハクスレーの著書『進化:現代的総合』(一九四二年)が有名である。現在はこの総合説を前節で述べたワイスマンの考えとは別に、「ネオ・ダーウィニズム」と呼ぶことが多い。 集団遺伝学は、遺伝子頻度の変化を進化とみなし、それを説明しようとした。それに対し総合説は、むしろ生物のもつ性質の進化を説明しようとしたものである。そのために、系統分類学、古生物学、生物の地理的な分布を調べる生物地理学、さらに野外の生物を観察していた生態学などが取り入れられた。しかし結局のところ、総合説は集団遺伝学の理論を利用して生物の進化現象を説明しようとした試みともいえる。 総合説の発展に関わった研究者としてよく知られているのは、ロシアの遺伝学者チェトヴェリコフ、ドイツからアメリカに渡ったドブジャンスキー、アメリカの博物学者ステビンス、イギリスの生態遺伝学者フォード、そして、冒頭で述べたハクスレーである。もちろん、前項で紹介した集団遺伝学者のフィッシャー、ライト、ホールデンなども総合説に関わったことになるだろう。 総合説(あるいはネオ・ダーウィニズム)は、いわゆる「権威的」進化学派として学会で主流を占めてきたものとみなされることが多い。現在、総合説は進化の「主流派」として反対派のターゲットにされ、「不完全である」「間違っている」と、各方面からの批判を受けている。まるで「批判派」は「主流派」を上回る勢いである。その批判論の多くは、総合説を突然変異と自然選択で進化を説明する理論だとしたり、自然選択万能とみなすものである。一般には前述した特定の研究者の意見が総合説とされ、それに対する批判がなされているのが実態である。 しかし、総合説と呼ばれるものが具体的のどの進化理論を指すのかは、それほどはっきりしているわけではない。そのことは、集団遺伝学の科学史的な研究をしているプロヴァインが指摘している。つまり、前述の総合説に携わった研究者はみな、少しずつ違った考えをもっていたからである。そして彼らはそれぞれに、自分の理論や研究の役割が総合説の中で過小評価されていると不満を持っていたというのだ。 総合説が自然選択万能の立場だとみなされ、そのことゆえにネオ・ダーウィニズムを批判する人は多い。確かに、自然選択で進化のすべて、あるいはほとんどの現象が説明できるとするのはいき過ぎである。しかし実際には、遺伝的浮動なども含めた集団遺伝学の理論だけでなく、地理的隔離による種分化や古生物学、生態学などの成果を取り込んでいったという功績を、総合説は果たしたといえよう。 総合説という言葉を使ったハクスレーは「進化は生物学における最も重要で中心的な問題であり、それにアプローチする人はすべての科学の分野――生態学、遺伝学、古生物学、地理的分布、発生学、比較解剖学、そして地質学、地理学、数学――からの事実と方法を必要とする」と書いている。具体的理論のどれを重要とするかについては意見の違いがあるものの、科学の各分野を総合するという意味での総合説は、進化理論の進歩にやはり重要な役割を果たしたといえるだろう。 ダーウィン進化論を補強する中立説 四章ではヘモグロビンの進化を例に、中立な突然変異で生じた新しい配列が遺伝的浮動により集団に広まり、もとの配列を置き換わるちうプロセスを説明した。中立説は、突然変異の置換(突然変異によって生じた遺伝子が集団中に広まり、元の遺伝子と置き換わってしまうこと。集団のすべての個体の遺伝子が置き換わることを指す)の大部分が、適応度の高い突然変異遺伝子が自然選択によって広まるのではなく、自然選択に対して中立な突然変異が遺伝的浮動によって(つまり偶然に)広まることを主張している。 中立説によると、突然変異の多くは生物の個体にとって有害なので、自然選択によって集団中から除去される。そして、集団のすべての個体に、突然変異で生じた遺伝子が置き換わるような「置換」に関与するのは、ほとんどが自然選択に対して中立な突然変異遺伝子であるという。さらに、個体に有利に働く突然変異は、稀に起こるものとみなしている。 中立説は、個体の生存や繁殖の差に影響しないような突然変異を重要視するため、個体の性質の適応進化には結びつかないのではないかという人がいる。いったい中立説の支持者は、自然選択による適応進化をどのように考えているのだろうか。 一つは、環境が変化したり、生物が新たな環境に侵入したとき、今まで遺伝的浮動によって集団中に保有されていた中立な遺伝子の間に適応度の差が生じ、有利な遺伝子となって自然選択によって広まるとする考えである。もう一つの考えは、有利な突然変異は稀にしか起こらないが、その突然変異によってかなり大きな影響を個体に与え、それが自然選択され適応進化に導くというものである。 中立説は木村資生により提出され、理論的に発展した。しかし、テキサス大学の根井正利によれば、中立説の見解に類似した考えは、すでに一九三二年に、アメリカのモーガンによって述べられていたという。 モーガンは、もし突然変異が有害である場合はすぐに除去され、有利なものであれば次第に広がっていくと考えた。さらに、新しい突然変異をもつものが古い突然変異をもつものより有利でも不利でもなければ、それが古いものと置き換わるかどうかは偶然によるが、それが何回も起これば、やがて新しい突然変異が古いものに置き換わるだろうと考えたのである。 自然選択が働かない中立な性質が自然の集団中に保有されているという意見は、ダーウィンも述べているし、総合説が有力になる以前は、中立遺伝子の役割についての論議もされていた。中立説は、前述の「古典的な集団遺伝学」を再評価し、洗練したものであるといえるだろう。 中立説の発展は、自然選択万能的な見解に歯止めをかけたこと、DNAなど分子レベルの変異を説明する有効な理論となったこと、また中立説の理論をもとにいろいろな予測やテストが可能になるということ、そして遺伝的浮動の重要性を再評価したという点などで、積極的に評価されよう。 よく、中立説はダーウィンの進化論を超えたというように賞賛されることがある。しかし中立説は、適応進化において個体に有利な突然変異が自然選択で広まることを否定しない。中立説は基本的に、ダーウィン進化論の枠組内での理論である。木村のアメリカ留学時代の恩師であり、中立説をサポートしてきたクローも、中立説の発展をダーウィンの理論を強化するものだと評している。 断続平衡説の誤り 断続平衡説については五章で簡単に述べたが、この説も実は、総合説のいくぶん片寄った「総合」に対する批判から生じたといえる。 特にグールドやエルドリッジの強調する点は、生物は遺伝子―細胞―個体―集団―種―単系統群(同じ祖先をもつ種をひとつのグループにわけたもの)という階層構造をなしており、進化には遺伝子や個体の変化だけではなく、種や単系統群の絶滅や出現という現象も影響しているのだ、という点である。そこで彼らは、個体や集団の変化の結果として種が変化するのではなく、新しい種が出現したり絶滅したりすることが逆に個体や集団の進化に影響している、という理論を提出したのである。 進化においてはいろいろなレベルの現象を考えなければならないという彼らの主張は、一面は正しい。しかし五章で述べたように、形態の変化は種分化と関係しているとはかぎらないし、二章で述べたように、実際に進化しているのは、「種」ではなく遺伝子や個体や実質的遺伝子交流集団であるので、彼らのいうような種とか単系統群とかが進化に関係しているという考えは、適切ではない。このため多くの遺伝学者や集団遺伝学者は、断続平衡理論を進化の重要な理論であるとはみなしていないのである。 行動生態学と社会生物学の成果 三章で述べたように、自然選択は個体にとって有利な行動を進化させることになる。しかし動物の中には、自分を犠牲にして他個体の繁殖を助けるという利他行動もみられる。単純に考えれば、個体に働く自然選択では、このような行動は進化できないことになる。そこで、古い教科書には「ある行動は種族を保存するという機能をもっており、それにより進化した」というような説明がなされることが多かった。しかしこの説明では、種の間に働く自然選択を考えなければいけない矛盾を生むわけだ。これが特に問題にされるようになるのは、一九六○年代になってからである。 きっかけは三つある。一つはアメリカのウィン=エドワーズが、個体数が増えると動物が移動したり繁殖を控えるのは、個体数が増えすぎないように個体自身が調節しているからだということを、『社会行動に関する動物の分散』(一九六二年)という本にまとめて出版したことである。彼の考えは、個体が集団の利益のために自分を犠牲にしているということになる。 これに対して反対意見が続出し、理論的に詳細に検討されるようになった。そしてニューヨーク州立大学のウィリアムズが、それまで暗黙のうちに認められていた集団選択の考えを概念的に批判し、生物の適応を説明するには個体を遺伝子の選択を考えるだけで充分であるとする意見を、『適応と自然選択』(一九六六年)という本で述べたのである。 されにイギリスのハミルトンは、利他行動の進化に関して、もし助ける相手が近縁者であれば自分は犠牲となってもその行動に関係する遺伝子は増加しうる、という「血縁選択」の理論を提出した(一九六四年。なお、この言葉はメイナード=スミスによる)。彼の理論により、利他行動はそれを引き起こす遺伝子の選択によるものであるという考えが普及する。 これら一連の研究をきっかけに、個体や遺伝子にとって有利な行動が進化するという視点で、動物の行動や社会構造を研究しようとする分野が注目されるようになる。それは「行動生態学」あるいは「社会生物学」と呼ばれる。 この行動生態学や社会生物学は、行動は自然選択で進化するという理論枠組で研究しているので、適応万能主義者として批判される場合がある。しかし行動生態学者は、自然選択説を具体的な動物の研究において仮説を作るうえでの有効な概念や研究プログラムとして用いているだけであり、自然選択ですべての行動が説明できるとしているわけではない。彼らは対立仮説として、行動が自然選択以外で進化する場合なども考慮しているのである(たとえば三章で述べたトカゲの例では、「苦い物質の分泌」は、その性質が自然選択に有利に働いて進化したものではなく、生理機構の副産物として進化したという仮説によっている)。 動物の行動の適応進化に関しては現在、より詳細な検証が実際の動物や植物で行われるようになっている。そこでは集団選択の理論的可能性は残るものの、動物が集団に有利になるように行動しているという観察例はほとんどなく、まして、「種にとって」有利な行動を支持するような観察例は皆無である。ここでもまた、個体に有利な性質が進化しているという考え方が、大筋で支持されているのである。 分子生物学での発見 一九七○年代後半から、実験技術の向上により、DNAやRNAなど遺伝子を構成する分子について、新しい事実が次々明らかにされた。たとえば、三章で述べたトランスポゾンのような動く遺伝子の存在や、四章で述べたようなDNAの「機能しないがらくた配列」や「繰り返し配列」といった現象、あるいは遺伝子の様々な調節機構といったものが、この時期に解明された。 分子生物学での発見は、それまでの遺伝子概念を変えるようなめざましいもので、進化理論においても一部の単純な進化プロセスの概念は修正を余儀なくされた。しかし、進化という現象は、二章で述べたような五つの進化プロセスで説明できる、という枠組は基本的には変わることはなかった。むしろ、分子レベルでの発見は逆に、中立説や自然選択説などの集団遺伝学的な理論の有効性を支持する有力な証拠となったのである。 さらに、三章のヘモグロビンの説でも述べたように、生物のもつDNA配列を比較することにより、生物間の類縁関係が詳しく推定されるようになってきた。それにより、これまで形態によって推測していた類縁関係のいくつかは、誤りではないかという疑問がもたれるようになっている。 分子生物学が今後ますます進歩するためには、DNAなどの分子レベルの現象を観測するだけではなく、ミクロからマクロまであらゆるレベルの進化理論を用いて、その現象の意味を探ることが重要になっていくだろう。 現代の進化理論の枠組とは 現代進化論とは何かといったとき、一言で答えるのは難しい。それは、研究者によっても見解が異なるからだ。しかし、ある程度大まかな枠組を示すことは可能であろう。ここではその枠組について、私自身の見解を述べておこう。 まず断っておきたいことがある。私は進化を考えるとき、種という概念を有効なものとは考えていない。したがって、種を重要な生物の単位と考える一部の人の進化理論は、私の見解とは異なっている。そのため、本書では断続平衡説の説明する種の絶滅と出現について論じなかった。ただし私は、種ではなく実質的な遺伝子交流集団という単位であれば、進化の傾向に影響を与えるかもしれないとは考えている。 では、現代進化理論の基本的枠組とはどのようなものであろうか。 基本的な進化のプロセスは二章で述べたが、進化はこのプロセスにそって起こり、そのプロセスに関わる要因についての理論が、現代進化理論の大まかな基本的枠組である。その中で何を重視するかは研究者によって異なり、たとえば突然変異プロセスでは、個体の性質に大きな影響を与えるものを重要視する人も、わずかな影響しか与えない突然変異の蓄積を重要視する人もいる。また、ある特定の性質の頻度変化に関して自然選択と遺伝的浮動のどちらを重視するかについても、意見が分かれている。分岐プロセスにしても、異所的な種分化を重視する人もいれば、他の生殖隔離機構を重視する人もいる。しかし、これらの違いはいずれも、現代進化論という大きな枠組の中での意見の違いである。 現代進化論は、生物の生存や繁殖に有利に働いている性質の進化、つまり「適応進化」を、生物の進化において重要な役割を果たしていると考える。そして、その適応進化を導くための最も重要な要因として自然選択を考えているのが、現代進化論の基本姿勢であるといえよう。 Previous Page - Page 26 - Next Page [ 目次] |