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生物はすべて前進する?――ラマルクの進化観
 
ところで、生物が進化するという事実を認め、提唱したのは、ダーウィンが最初ではない。十九世紀の初めに、フランスのジャン=バティスト・ド・ラマルク(一七四四〜一八二九 図6)はすでに、生物は新しい環境条件に応じて変化していくと考えていた。そのためラマルクは、全生物が共通の祖先から変化したという、現在の進化論の考えを最初に認めた人として評価されることがある。
 ラマルクは初期には、種が変化するという考えを認めていなかったが、十九世紀に入ってからの彼の進化観は、生命は自然発生によって物質から生じるという立場に立ち、神がデザインするという考えを否定していた。
 彼の考えでは、生物は最も複雑なものを頂点に、下部に位置する下等な生物まで連なっており、生物は下等なものからだんだんと高等なものへ変化してきたものとみなされた。これは前節で述べた存在の連鎖と類似した考えであるが、存在の連鎖のように一本の系列で連なっているのではなく、枝分かれした系列をラマルクは考えていた。
 しかしラマルクは、この枝分かれの系列が、一つの共通祖先から分岐しながら、現在の多様な生物に変化していったと考えたのではない。彼は、生物は常に単純なものから高等なものへ変化していくと考えており、現在複雑な構造をもつ生物はより昔に生じ、単純な生物はごく最近生じたため、まだ複雑なものに変化していないのだととらえていた。言い換えれば、彼は生物は一つの共通の祖先から進化したのではなく、絶えず別々の種類のものが自然発生していると考えたのだ。(図7)
 この他ラマルクは、生物は常に発展し、また変動する環境に適応する機構をもっているために、みずから絶滅するものとは考えなかった。そのため彼は、環境に適応する機構として「獲得形質の遺伝」をもとにした「用・不用説」を提唱したのである。
 環境が変化すると、動物が生きるために必要とするものも変化する。キリンの祖先は首が短かったが、ある時点で樹上の食物をとらなければならないようになり、キリンは首を伸ばして食物をとろうとする。その結果、必要によってよく使われる首が発達し、子孫に伝えられ、次第にキリンの首が長くなったという話は、「用・不用説」の例としてよくあげられている。この機構は、生物が自発的な活動を通じて環境に適応していくという、「生物自身の努力による前進的な進化観」が基盤になっているのである。

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